100th.kiurfc2022年12月1日104: 【創成期編6】谷村敬介による京大ラグビー部の創設(S55 真田 正明)日本に近代ラグビーをもたらした香山蕃は1920年、東京帝国大学政治学科に入学した。三高時代はラグビーのオフシーズンに陸上競技もしていて、一高との対抗試合で活躍していた。1年目は、誘われるままに陸上競技をしていた。そのころ学内で秋に開かれる運動会が、一大行事だったためだ。...
100th.kiurfc2022年2月17日069: 終戦後のラグビー事情 (S28 岸田 健/堀 敬二)太平洋戦争が終わり、日本のラグビーも復活した。それからしばらくたった昭和20年代半ばの京大ラグビー部の様子を、岸田健、堀敬二という大先輩に聞いた。2人は1953年卒で、インタビュー当時2人とも94歳。岸田は北野中学から四高(現金沢大)を経て1947年に入学。堀は桃山中から海...
100th.kiurfc2021年10月21日052: 【創世期編5】打倒慶応の夢かなわず/三高蹴球部(S55 真田 正明)慶応からラグビーを伝授された三高蹴球部(ラグビー部)の目標は、つねに「打倒慶応」だった。結局、目標は達成できずに旧制高校の歴史を閉じるのだが、最も夢に近づいたのが創部10年を前にした1916~19年ごろである。 創部当時のメンバーが抜け、資金難にも陥り、三高蹴球部はできて数...
100th.kiurfc2021年8月26日044: 吉田山にラグビー団がある(高瀬泰司・吉田山"白樺"亭主)高瀬泰司という人物を一言で表すことは難しい。京都府学連委員長という学生運動のリーダーであり、自主管理していた京大西部講堂で開かれるイベントやコンサートの仕掛人であり、文筆家であり、酒場の亭主だった。そして何よりラグビーを愛し、京大ラグビー部の大切な応援団だった。...
100th.kiurfc2021年8月5日041: 【創世記編4】動き出した天狗たち(S55 真田 正明)まだ三高にも入っていない京都一中卒の浪人生、香山蕃が大正5年(1916年)、京大生らを集めてつくった天狗俱楽部は、岡崎の平安神宮前にあった広場で練習を始めた。結成後数か月で対外試合に臨み、初戦の神戸外人には3-14で敗れた。以来、天狗倶楽部は何度も神戸まで出かけているが、そ...
100th.kiurfc2021年1月7日010: 【創世記編3】祇園生まれのラグビーの申し子(S55 真田 正明)三味線の音が響き、白粉の香りが漂う紅灯の巷、京都祇園。その人物は生まれてから7歳までその真ん中で育った。ラグビー日本代表が初めて編成され、カナダ遠征したときの監督であり、3代目の日本ラグビー協会長になる香山蕃である。蕃は「しげる」と読むが、ラグビー関係者はみな親しみを込めて...
100th.kiurfc2020年11月24日「京都大学ラグビー部創部100周年記念事業」にあたって(S50 水田 和彦・KIU R.F.C.会長)令和2年(2020年)11月 京都大学ラグビーフットボールクラブ会長 水田和彦(1977年、昭和50年卒) 2022年我々は創部100周年を迎えようとしています。 新型コロナウイルスという思わぬ難敵が世界に拡散し、日常生活・社会に大きな被害・制約を与えています。昨年のラグ...
100th.kiurfc2020年11月12日002: 【創世記編2】糺の森の楕円球(S55 真田 正明)下鴨神社の南に広がる糺(ただす)の森は、緑深い樹木に囲まれて小川が走り、紀元前の植生を今に伝えるという。その中央を貫く参道に並行して、流鏑馬用の馬場がある。南北約300メートル、幅20~30メートルほどのこの広場こそ、日本のラグビーが関西を中心に大きく広まるきっかけをつくっ...
100th.kiurfc2020年6月30日001: 【創世記編1】京都のトム・ブラウンたち(S55 真田 正明)イングランドのパブリックスクール「ラグビー校」でウィリアム・ウェッブ・エリス少年がフットボールの試合中にボールを拾い上げて走った。それがラグビーの起源であるという話は、あとから作られたものだというのが今では通説だ。とはいえラグビー校がラグビー・フットボール発祥の地であること...