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003: 宇治グラウンド天然芝ものがたり(S59 岡市 光司)

更新日:2021年5月7日


芝生化前の、泥沼のようなグラウンド。

 2003年の秋、当時監督であった市口さんからの誘いがあり、宇治グラウンドに足を運ぶようになった。約20年ぶりにグラウンドに行って驚いたのはグラウンドコンディションの悪さだった。雨が降ると泥沼のようになり、雨がひどい時の試合なんかではラックで下敷きになっている選手なんかは溺れるのではないかと思うぐらいだった。これでは選手のモチベーションも上がらないので、なんとか環境改善に取り組まなければならないと感じた。


 2007年の定例評議員会で「宇治グラウンド芝生化」を提案。評議員の賛同を得て計画の推進が承認された。しかし問題は、「運用コスト」である。

人工芝にするのがベストであるが、初期投資として約7千万円必要であり、さらに耐用年数を10年と仮定した場合、廃棄処分費も考慮すると年間1千万円の積立てが必要となる。天然芝にした場合は初期投資が人工芝と比較すると安価であるが、本当に維持できるのかという不安がある。


 私の本職が土木技術者ということもあって計画の実施責任者として私が指名された。夢への第一歩が踏み出されたというワクワク感と本当に天然芝を維持できるのかという不安とが入り混じった複雑な思いで宇治グラウンド芝生化プロジェクトがスタートした。


2007年3月。

芝生植え付け前日の様子。右端が中野先生。

 当時OB会の副会長であった石田さん(S48)が「校庭や空き地の芝生化を推進しているNPO法人が鳥取にあるので現地に一緒に行こう」と誘ってくださったので、石田さんと当時監督だった湯谷さん(S47)と一緒に鳥取まで行った。私たちを出迎えてくれたのはNPO法人「グリーンスポーツ鳥取」(以下GST)の代表者で流暢な日本語を話すニュージーランド人のニール・スミスさん。

GSTのブレーンで鳥取大学農学部の准教授をされていた中野先生(京大農学部出身)にも来ていただいて、いろいろ検討した結果、


・ゴルフ場や競技場のように隅々まで手入れされた高度な芝生でなく、転んでも痛くない安全な芝生(除草剤、農薬は使用しない)

・種類を問わないで草や芝を頻繁に刈る、施肥、散水だけの管理で年間維持管理費を低く抑えることで身近な芝生


という運用方法を、宇治グラウンド芝生化のコンセプトにすることで、それまでの不安がかなり払拭された。

2007年5月。

グラウンド造成工事

 OB,その他関係企業からの寄付金が2,000万円を超えたので、芝生化事業が本格的に着手されることになった。寄付金は大学に納められるため大学のルールでの発注となる。そのため、発注図面、発注条件書を私が作成し、それをもとに大学が入札をして施工業者を決定するという手順を踏まなければならなかった。

 そして、グラウンドの水捌けをよくするために、全体に土を入れ、周囲の側溝よりもグラウンドの高さを高くする工事が始まった。


2007年6月。

 芝生の植付けまであと1週間とせまったこの時期に行ったのが散水設備設置工事。

グラウンド内にポップアップ式と呼ばれるスプリンクラーを埋め込む工事だ。当初、私はフィールド内にそのようなものを埋め込むのには抵抗があったが、採用している公園などを視察し、「これならプレーに全く支障がない」と判断して採用することにした。自動散水なので散水時間をインプットしておけば、現地に行く必要がない。毎日散水が必要な夏場には、なくてはならない設備だ。

宇治グラウンド散水設備計画図と散水設備埋め込み工事。右側がGSTのニール氏。

2007年6月24日。

 芝生植え付けの当日。朝からなんと大雨。前日は快晴だったのに・・・・・

雨天決行としていたが、南京都ラグビースクールの方には「子供たちに無理をさせるわけにはいかないので、来られる方だけで結構ですよ。」という電話をしてグラウンドに向かった。

 「現役部員、医学部部員、OBとでなんとか1日かけて植え付けできるかな」と思いながらグラウンドに到着。すると期待していなかったスクールの関係者も大勢来て下さって、総勢150人もの方々で芝生の植え付けを行った。芝生の植え付けというのは50cm間隔で芝生の苗を植え付けていくものなのだが、大雨のためグラウンドは田んぼ状態であり、まるで田植えのような様相だった。せっかく前日に位置だしをしたのにラインがまったくわからなくなり、最後の方は感覚だけで植え付けた。

しかし150人の力というのはすごいもので、わずか半日で4万株の苗を植え付けることができた。大雨の中での作業で一時はどうなるかと思ったが、子供たちは泥遊び感覚でかえってよろこんでいたのが印象的だった。

芝生植え付け当日。150人が参加。朝から大雨のため、まるで田植え状態。

2007年7月。

2007年7月、初めての芝刈り。

 まだ50cmあいた苗と苗の間にようやく根がつながりだした程度で「本当にこれでフィールド全体が芝生になるのかな」という不安もあったが、7月の後半にはフィールド全体が緑で覆われるようになった。

 芝生は刈られると上に伸びることができないため、横に必死で根を張っていくようなので、これからは芝刈りが重要となる。芝生管理の優先順位は<芝刈り>→<散水>→<肥料>。

そこでロータリーモアと呼ばれる乗用式の芝刈り機を購入。最初に芝刈りをするまではただ単に緑に覆われているだけでウッソウとしていたが、芝を刈るとそれなりに芝生のグラウンドになってきた。


2007年9月9日。

 ついにグラウンド開きを迎えることになった。

記念行事の内容はラグビースクールの交流戦、式典、現役Bチームと若手OBのいる社会人チームとの試合、シニアの交流戦と盛りだくさんだった。

 私が現役の頃は芝生の上でプレーするというのは憧れであり目標であった。それはチームが強くなければ、またレギュラーになっていなければ芝生の上でのプレーは出来なかったからだ。今日から芝生の上でのプレーがこのように日常的なことになるということは色々な意味で感慨深いものがあった。



2007年9月9日、天然芝のグラウンド開き。


ヨトウムシの被害。北半分の芝が食べられた。

 宇治グラウンドの芝生化をしてから5年(2012年現在)が経過しました。いきなりヨトウムシの被害を受けたりもしたが、なんとか維持しています。シーズンの終盤にはボロボロになるが、夏と冬のオフシーズンの間になんとか回復させているのが現状です。

選手にとってはメンテナンスが少なく、雨の日も気にせずに練習できる人工芝の方がいいのかもしれませんが、手をかけなければならないことや、自然との共存を感じられる天然芝の意義も捨てたものではないと思います。


 宇治グラウンド芝生化に当って多額の寄付金をいただいた方々、また、これまで色々とご尽力していただいた方々にこの場をお借りしてお礼を申し上げることで私の回顧録の結びとさせてもらいます。


S59年卒 岡市 光司(京大ラグビー部九十年史より再編集)


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