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010: 【創世記編3】祇園生まれのラグビーの申し子(S55 真田 正明)

更新日:2021年6月29日

 

香山蕃著「ラグビー・フットボール」(目黒書店刊)

 三味線の音が響き、白粉の香りが漂う紅灯の巷、京都祇園。その人物は生まれてから7歳までその真ん中で育った。ラグビー日本代表が初めて編成され、カナダ遠征したときの監督であり、3代目の日本ラグビー協会長になる香山蕃である。蕃は「しげる」と読むが、ラグビー関係者はみな親しみを込めて「ばんちゃん」と呼んだ。第一蹴の地から芽吹いたラグビーを京都で、さらには全国に広めた先駆者である。


 香山の父は八坂神社のすぐ南にあった病院の副院長で、生家も病院の一角にあった。そのまま祇園で育てば「舞妓の卵と机をならべるハメになって、極端に異なった人生を送ることになったかもしれない」(香山)。父はそうなることを嫌い、自宅を丸太町通り川端東入ルに移した。近くには京都府立第一中学(京都一中、のちの洛北高校)、三高、京大があるという文教地区だ。




 父は厳しく、小学校に入ると毎朝井戸端で水をかぶることを課し、柔道や水泳を習わせた。夏休みには奈良まで十里の道を徒歩で巡ったという。おかげで香山は足腰の強い少年に育った。

 その香山が初めてラグビーの試合を見たのは、京都一中4年生だった1912年1月のことだ。前年、できたばかりのチームで東京に遠征して慶応と初めて試合をした三高が、この年は自らのグラウンドに慶応を迎えた。「一つのボールを中心に、一群が入り乱れて活躍しているのを見て、こんなおもしろいスポーツがあったのかと目を見張った」と後に語っている。

 そのころ柔道とボートをしていた香山は、一中にもラグビー部をつくろうと奔走する。ちょうど当時、三高も手近な対戦相手を求めて一中に創部を働きかけていた。一中の校長は、英国帰りで、のちに三高校長を務めた森外三郎。校長の理解もあって、香山が5年生の時には、ボートや柔道、野球などをしていた生徒を集めてラグビー部ができ、兄貴分の三高から指導を受けた。


 三高は一方で、同志社のア式蹴球(いまのサッカー)部にラグビーを伝授し、1911年11月に正式にラグビー部として発足した。慶応、三高、同志社という3本柱ができていたところへ、京都一中に日本で4番目のラグビーチームが発足した。そのあとを追って、同志社中学、京都市立第一商業学校(京一商、のちの西京商業高校)など、同じく弟分クラスのチームが発足した。さらには錦華殿倶楽部、神陵倶楽部、天狗倶楽部といったクラブチームもでき、京都では燎原の火のようにラグビーが広まった。

加納治五郎団長のもと金栗四三と三島弥彦が、日本人として初参加したストックホルム五輪が1912年。日本人がようやくスポーツを理解し始めたころである。


 錦華殿倶楽部は、西本願寺の嫡流大谷光瑞の弟、大谷光明が、龍谷大学前身の仏教大学や平安中学の学生・生徒を集めてつくった異色のチーム。大谷光明は英国のケンブリッジ大学に留学中にラグビーに触れた。神陵倶楽部は、三高ラグビー部が部員の減少や部費の不足で対外活動ができなかった1914年に、谷村順蔵(京大ラグビー部創設者・敬介の兄、1917年京大卒)が中心になってクラスメートや三高卒業生、京都一中の生徒らでつくった。


香山は三高の受験に失敗し、4年間浪人している。1年目は東京で、中央大、日大、法政、専修と短期間に次々と除籍、転籍を繰り返した。2年目は同志社に籍を置いてラグビーの試合にも出た。3年目の1916年、家を出て岡崎に下宿した。そこで京大柔道部の安達士門(京大に8年在籍、1921年卒)に出会う。安達は岡山の六高出身で、そのもとには同窓の安楽兼道(1918年卒)や柔道部の面々が集まっていた。


著者(香山蕃)の写真

香山が、彼らを「いろいろの戸外スポーツをやろう」と誘い出した。「何にでも使える靴やユニフォームを作ろう」と、ラグビーに使えるスパイクシューズをつくり、楕円球を手に入れ、ラグビーチームに仕立て上げた。そこに三高から京大に進んでいた谷村順蔵や宇野延次(1919年卒)、竹上四郎(同)らのラグビー経験者が加わってできたのが天狗倶楽部である。倶楽部には30人以上の部員がいて、紅白戦もできたという。これこそが、数年後に発足する京大ラグビー部の母体になった。

まだ三高にも入っていない浪人生が、京大生を中心にしたチームをつくってしまった。香山のラグビー遍歴と京大とのかかわりはその後も続く。


(S55年卒 真田正明)


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