"To The NEXT 100 Yrs" 次の100年へ。
《特別インタビュー》
成城大学は京大の定期戦相手のひとつだ。松尾さんはその監督を2004年から11年まで8年間務めた。その間の勝敗は3勝3敗2分けの五分。ミスターラグビーは大学の監督として何を目指したか。
▼元日本代表・松尾雄治さんの「強くなるには―成城大監督の経験から」動画はこちら(約4分半)
――ずっと一流のチームや日本代表でやってきて、少し戦力が劣る大学の監督となって、考え方を変えたか
まじめさとか、礼に始まり礼に終わることなんかを忘れて、早明戦なんかを見て「だめだな」とか言っている。だめなのはお前らだろうって。見ているだけで頭だけ大人になっちゃっている。ぼくらは(学生のころ)そんなのまったくわからなかったから、「あの選手すごいな。あんなみたくなりたいな」などと思って見ていた。試合の流れとかまで見られるようになったのはだいぶ後の話だ。そこでぼくは成城の子たちに「そんなこと言っていてはだめなんだよ」と言った。
最初はタバコ吸ったり、アンパン食いながらスパイクのひもを結んだりしてるのがいた。 ぼくの家でチャンコ鍋をやるんだが、玄関には靴がぐしゃぐしゃ。「君たち、これみてみろよ。これじゃあ、ラグビー部の部室だって何だって(同じじゃないか)」。やっぱりもう1回成城のラグビー部を見直さないといけないと思った。
――当時は成城に住んでおられた。全員呼んだのか
そう、時間差で。19人しかいないし。OBになったらわかることだが、人のうちに行ったら「お邪魔します」とか、帰るときは「失礼します」とか。そういう当たり前ができなくなっちゃっている。
――8年間の間に紳士に育てたと
そうですよ。本気になってやりましたよ。強くなった年代はすごくきちんとしている。
――定期戦で京大が大敗している年(2009年、10対94)がある
そのころは4年生がすごくいい選手になってきた。強くなってくると、秩父宮ラグビー場に観戦に行くときもちゃんとした格好をしていく。自分たちがうまくなって人に見られるようになることが人を育てる。
京都大学のラグビー部が、ぜひ京都大学の運動部を引っ張っていっていただきたい。個人スポーツはいいが、あんなに人数が多いのにラグビー部って違うなって、ラグビーって違うんだな、立派だな、と他の学生から思ってもらいたい。成城大学でも、そういうことを思ってやっていた。
(2021年4月13日「リビング」にて収録)
取材:白石良多(S54/WTB)/真田正明(S55/PR)/西尾仁志(H2/CTB)
▼松尾雄治さんのプロフィール
1954年東京都生まれ。成城学園中学校、目黒高校、明治大学、新日鐵釜石。目黒高校のときに全国優勝。大学2年生でスクラムハーフからスタンドオフに転じ、4年生のときに大学選手権に優勝、日本選手権も初優勝。新日鐵釜石ではV7を含む8回の日本選手権優勝に貢献する。日本代表キャップ24.
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