"To The NEXT 100 Yrs" 次の100年へ。
OBから現役世代へ、さらには未来の京大ラガーに向けて幅広く未来を語り、繋ぐ。リレー対談形式のインタビューコンテンツです。
本田剛久さん(H10卒)、榎原友樹さん(H13卒)の主将経験者2人に、京大ラグビーの特徴や後輩たちへのエールを伺いました。
――京都大学のラグビーとは
(榎原友樹さん 以下榎原/敬称略)自由な発想。「ラグビーはこうだ」というのがない。流れてもいい。15人でモール押してもいい。自分たちで考えて、面白いと思うことをやってみるマインドがある。いいところでも悪いところでもあるんだろうが、体育会のゴリゴリなだけでなく、緩さもある。それぞれの代で工夫して強みを生かして頑張ればいい。FWタイプでも全然かまわない。
(本田剛久さん 以下本田/敬称略)コロナ禍で帰国できたので、宇治のグラウンドを見てきた。設備は天然芝と人工芝の2面があり、クラブハウスが建って整っている。とはいえ、体格的にも恵まれないなか、他大学にどう立ち向かうか。それをいつも考えていたし、今も考えているんだと思う。今は高校でのラグビー経験者が多いと思うが、同期は未経験者が半分で、それが当たり前だった。大学でラグビーを始めた人のやる気を引き出し、戦力に育て上げて、3回生になったらレギュラーになって試合に出る。それができるのが京大ラグビー部のすごさだと思う。そうしたことを生み出す土壌、新しいことをやらないといけないという発想力が支えている。
▼「自由奔放な市口ラグビー」動画はこちら
(榎原)卒業して東大OBのチームでプレーした時は、基本に忠実なラグビーだった。タックルはこうだ、と教えられたぐらい。現役時代はある意味、かなり変則的なラグビーしか、していなかったので、最初どう対応していいか分からなかった。「こんなことを考えている人がいるんや」というのが大学でラグビーにのめり込むきっかけになった。これまでも工夫してきたし、そういった感覚が残っていればいいなと思う。
(本田)今の現役の体格が大きい。お米をサポートいただいたりもして、チームにとっても素晴らしいことだし、うらやましい。僕らのころは一人暮らしが多く、食生活が大変だった。
(榎原)プレーでは目立たなくても、後輩でも、尊敬できる、魅力的な人が多い。破天荒だったり。本田さんの代にはよく遊びにも連れて行ってもらった。
(本田)就職して東京に行ったが、同期で後輩を呼び出してリビングで雑魚寝してたこともある。遊び人が多かったのかも。1回生のころから、大学近くの居酒屋「ちくわ」に呼ばれ、受け入れてもらっていると感じた。
(榎原)酒にまつわることが、社会的に受け入れられなくなっていった世代なのかもしれない。今はあの飲み方や振る舞いはあり得ないだろう。
(本田)兄の本田祐嗣(H6卒)とは大学では入れ違いだったが、ラグビー部員がたくさん世話になった銀閣寺そばの「長谷川方」という下宿の上と下に住んでいた。
▼「京大ラグビーの素晴らしさ・凄さ」動画はこちら
――人生にとってラグビーの持つ意味。
未来の京都大ラグビー部員へのメッセージ
(榎原)社会人になって、ラグビーをやっていたと言うと「ええ奴やな」「酒飲みに行こう」と誘われることもある。すごくかわいがってもらった人もいる。年齢、文化、レベルが違っても同じで、得することが多い。学生時代にしんどかったことが自分の根幹になっている。自分の意見を主張したくなる時に、主将時の経験を思い出し、「また人が離れていくぞ」と自制できる。尊敬できる、魅力的な人たちと出会えたし、今も背中を追いかけている。
(本田)NYにいてすら、ラグビーチームがあり、たまたま出会った人がラグビー経験者で家族ぐるみで仲良くしている。世界のどこにいても、ラグビーは共通言語で自然発生的につながる。会社の中、同業他社でも、人を紹介したがる。京大は歴史があるし、日本協会で活躍された先輩もいるので、年配の方には特に受けが良い。40歳代後半で、部下もいる中で、マネジメント、リーダーシップを考えるときに、自分の中で尺度にしている。人をやる気にさせるのは労力、時間、演技力が必要だと思う。主将の時にできてなかったかもしれないが、いろんな局面で思い出す。主将だけでなく、いろんな係とか、ラグビー部で経験していることはあらゆることに通じる。100周年の「次」は平成10年代が担っていかないと、と改めて思った。
▼「ラグビーの魅力、現役へのエール、クラブへの思い」動画はこちら
2022年2月6日 Zoomにて収録。
聞き手:麻植渉(H2/SO)奥村健一(H2/LO)西尾仁志(H2/CTB)
※このコンテンツへの追加情報・コメント等は、KIUR.F.C. facebookでもお願い致します。
Comments