top of page
執筆者の写真100th.kiurfc

072: 「AABC➚B」これが平成2年卒の4年間〈前編〉(H2 溝口 正人・京大ラグビー部監督)

更新日:2022年3月18日

 中学3年の夏、同級生と見よう見真似でラグビーを始め、兵庫県立神戸高校、京都大学で主将。京大では一回生からレギュラー。2016年のCリーグ降格を機に翌2017年、監督就任。学生の自主性に任せつつ明るい雰囲気を醸してAリーグ昇格を目指す溝口正人監督。

 90周年記念誌への寄稿文と、2021年12月に惜しくも逝去された同期・坂口誠さんへの追悼文(H2 澤秀樹・文)も交え、2回にわたってお届けする。



左端)溝口正人・現京都大学ラグビー部監督



AリーグからCリーグまでを経験した年代


 長い京都大学ラグビー部の歴史の中で、AリーグからCリーグまでを経験した年代は少ないと思う。

 1年生の時、最下位ではあったが、なんとか関西学院大学との入替戦に勝利して残留!2年生の時、また最下位になり、立命館大学との入替戦に負けBリーグ降格!

3年生の時、またまたBリーグで最下位(もしくは7位)となり、○○大学(※)との入替戦に負け、まさかのCリーグ降格!


 私自身、1年生の時からリーグ戦またすべての入替戦に出場していたが、Cリーグ降格が決定したこの試合のことをよく覚えていない。どの大学にどんなスコアで負けたのか、まるで夢でも見ていたかのような感じがして思い出せない。ただひとつだけ覚えているのは、試合終了後「来年Cリーグ…でやるのか?」と同じことばが繰返し頭の中を巡っていたことだけである。

 余談ではあるが、私個人の持つ各リーグの特徴はというと、芝生のグランド、球技場での有料試合、ラグビーマガジンの顔写真付きメンバー表、大学選手権への出場機会… これがAリーグ。土(たまに芝)のグランド、勿論試合は無料。上位の数チーム以外はどんぐりの背比べのように混戦が続く。高校時代の顔見知りが対戦校に割といる… これがBリーグ。Cリーグはというと、いろいろな大学のいろいろなグランドで、まるで練習試合のように公式戦が行われるといった感じである。


Cリーグからのスタート


 かくして、年号も昭和からかわった平成元年、私たちは4年生のシーズンをCリーグという当時考えられなかったステージで戦うこととなる。4年生は19名、チームの総勢は80名以上という大所帯で、三好先生を新監督にむかえ、とにかく明るい超攻撃型のシャンパンラグビー(多分?三好監督はそのように考えられていたのではと思う)を目指した。勿論、目標は『Cリーグ制覇、Bリーグ復帰!』である。


 今振返ってみると、私自身もそうであったが、このチームには『Cリーグで戦う』ということに対する憤りや不満、悪い意味での照れのようなものは一切なかった。それほど明るいチームであったし、三好監督が指導してくれるラグビーが新鮮で、ここ数年の苦い思い出を払拭して、新生京大ラグビー部を創っていこうという意志がチームに充満していた。

ただ、このチームが京大の他の時代のチームと比べて、強いのか?弱いのか?

これがCリーグで戦うことで分かりにくいことが、私自身はストレスであった。しかしながら、私たちにはリーグ戦以外に定期戦があった。そしてその中には、当時Aリーグの同志社大学と立命館大学、関東対抗戦グループの慶応義塾大学との定期戦もあり、これらを自分たちの力をはかる重要な戦いと位置付けた。



▼1989年新人勧誘ビデオ/練習編・溝口組(1989年)

新人勧誘のために練習中の映像をホームビデオで撮影・編集したおそらく最初の新勧映像。



▼1989年新人勧誘ビデオ/試合編・溝口組(1986〜88年)

Aリーグ(1986~87年)、Bリーグ(1988年)や定期戦などのハイライトを収録。




手応えをつかんだ春シーズン


 そして、春シーズンの後半、その初戦が宇治のグランドで行われた。相手は立命館大学。新チーム結成以来やってきたもの、セットプレーからの確実なマイボール確保とスィングパスによる展開ラグビーがAリーグのチーム相手に通用するのか、みながそんな思いを胸にのぞんだ試合であった。

 結果は完勝!スコアこそ一桁の差であったが、スクラムトライをとり、ラインアウトでは当時認められていなかったリフティングを巧みに利用し大きな立命館のFWと互角にわたりあった。そしてBKは、外にまわす度にスピードがあがる、まるで鞭がしなるようなラインアタックでAリーグのディフェンスラインを突破した。特別なサインプレー等はしていない、各人が縦、横、縦の動きのもとに三好監督から教わったスィングパスを実践しただけのラインアタックがAリーグの相手を外で振り切ったのである。

『いける!このラグビーで秋は戦える!』と、私はこのとき確信した。



H2年卒・H1年度主将 溝口 正人(京大ラグビー部九十年史より再編集)


※編集部補足

昭和63年度の入れ替え戦は、Cリーグ降格「京大 10-16 大工大」

平成1年度の入れ替え戦は、Bリーグ昇格「京大 16-10 大工大」


平成元年(1989年)6月11日・立命館大学定期戦での集合写真
京大 VS 立命館大学定期戦、18-14で勝利(宇治グラウンド)
1989年夏合宿(山中湖)での同期写真。最後列右端が溝口選手。


平成元年(1989年)当時、OBに配布された活動報告「宇治便り」

春シーズンを終えて、1回生から4回生のコメントが掲載されている。(一部抜粋)
当時の三好郁朗監督からの春シーズン総括。


※1989年春の宇治便り(全ページ)は下記よりダウンロードできます。



※このコンテンツへの追加情報・コメント等は、KIUR.F.C. facebookでもお願い致します。

閲覧数:1,113回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page