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114: 京大の前に出るディフェンス、ひたむきさ。リスペクトしている(宮本 啓希・同志社大学ラグビー部監督)

更新日:1月29日

 同志社大学は1984年度を最後に大学日本一から遠ざかっている。関西の大学ラグビー界は近年、天理大学が初の栄冠を手にし、京都産業大学は2年連続4強入りと上向きだ。ただ、「やっぱり『紺グレ』」という声は根強い。

 京都大学との縁は深く、長い。定期戦は100年もの長きにわたって続けられ、元京大ラグビー部監督の星名秦さんは、同志社大学の教授から学長まで務め、岡仁詩氏らを育てた。

 2022年度に監督に就任した宮本啓希監督に、両校の絆や、覇権奪取に向けて描く道程を聞いた。




――京都大学と対戦した思い出は?


 1回生の時に宇治グラウンドで対戦した。とにかく暑かった。監督になって改めて思うが、京大はとにかく前に出るディフェンスと、ひたむきなプレーの印象が強い。

 京大との歴史については、定期戦の前などにミーティングで話をするようにしている。4回生を多く起用したいと考えている。昨年の試合前、選手の表情を見ていると、伝統の重みを受け止め、普段以上にリスペクトを持って気持ちの入ったプレーをしていると感じた。


同志社大学4回生の頃の宮本さん


――卒業後、京大のOBとの関わりは?


 サントリー・サンゴリアスに入って2年目にエディー・ジョーンズ監督の下、日本一になった。その時の部長が夏山真也さん(S54年卒)だ。練習にもよく来ていただいた。「もっとやらなアカンぞ」と言われてました。


サントリー・サンゴリアス時代。


――同志社大は勉学との両立が求められ、田辺と今出川のキャンパスが離れている。京都大の置かれた状況と似ている。


 非常に困る点だ。就任してすぐ、練習を早朝6時45分からにした。生活スタイルを整えるためと、皆がそろうためだ。最初は抵抗があったが、今年は2年目で慣れてきたようだ。

 1限目の授業がある学生は、8時過ぎの電車に乗らないと間に合わない。1時間動き続ける密度の濃い練習をしている。

 田辺キャンパスの近くにラグビー部の寮があって、最大65人が入れる。残りのうち30人が寮の近くに下宿し、30人が自宅から通っている。兵庫県伊丹市から通う学生もいる。2006年に寮ができて、私が1期生。そのころから生活環境は変わっていない。

 現在、選手は118人でスタッフが19人だ。

 就任した当初、学生の「体が小さいな」という印象だった。午後の練習はウェイトにして、早く寝るように指導した。昨シーズン後半からは夕方も練習している。

 同志社に受け継がれる「倜儻不羈(てきとうふき)」という言葉がある(才気がすぐれ、独立心が旺盛で、常軌では律しがたいこと。同志社では一方的に指導するというスタンスではなく、生徒の可能性を信じて、個性を大切にし、一人ひとりが自発的に行動して自分の力を発揮できるよう努めてきた=同志社ホームページから=)。この言葉を実践するため、今年は学生がどうしたいか、というのを大事にしている。

 昨シーズンの大学選手権で帝京大に零封された悔しさが原点にある。学生から「もっと練習しないと」という声が上がった。

 大学は出席も厳しく、授業にかかわる制約は大きい。試験期間中は練習にそろうメンバーも限られる。






――リクルートはどんな体制か?


 同志社のブランド、と言ってもらうことがあるが、関東の対抗戦グループの帝京、明治、早稲田にいい選手は流れがちだ。リクルートは副部長の中尾晃さんが長年、担当している。

 高校生を勧誘する時には「自主性」を訴える。そこが響く。自分で考えて行動して成長するのが同志社、と言ってくれる。考える力を持っていたり、身に着けたいと思っている学生が多いと感じる。



――JICAを通じてインドに選手を派遣している。


 コロナで途絶えていたが、その前から行われている。各学年3~4人、計10数人が参加する。学生は朝5時半に起きて、それぞれ担当する小学生から高校生にラグビーを教える。言葉が伝わらない中で、どうやってコミュニケーションを取るか。日本の生活環境がいかに恵まれているか。そんなことを学んでくれるようだ。帰国後、「世界観が変わりました」と言ってくれる。再訪したい、という学生もいて、インパクトがあるんだなと感じる。人間形成に役立っている。

 


――インタビュー収録の7月14日時点で短いシーズンオフは終わり、秋に向けて再始動している。


 時期的には昨年と変わらないが、練習の内容は全然違う。ラグビーの技術は後回しにして、春から取り組んだ筋力アップにもう1回、取り組んでいる。昨年12月25日に大学選手権で帝京大に敗れ、1月8日に決勝を新4年生と観戦し、帝京大の胴上げを目に焼き付けた。そこから新チームはスタートした。

 


――同志社大はYouTubeチャネルを持っている。


 マネージャーがやっている。他校との対談など、いろいろと新しいパターンも発信していきたいようだ。私の監督就任前に、学生がやりたいと言って始まった。内容もスタッフが決めている。日常の練習だけでなく、練習以外の活動も紹介している。スタッフとは週の終わりにミーティングして、起こったことや課題を共有している。シーズン最初にスタッフだけのミーティングをした。自分がプレーしない中で何をモチベーションにするか。「一番になりたい」という学生が多い。毎年同じ内容ではなく、常に+αしていかないと一番にはなれない、と言っている。

 



――監督の仕事は


 コーチは3人。BKのアタックとディフェンス、S&C。それぞれに任せている。FWコーチは週末に来てくれる。監督は生活の風紀の乱れなど、オフフィールドの日常生活のことを見ていることが多い。学生のリーダーを決めて、自分たちで改善を目指している。ミーティングではきれいなことが言えるが、実際にはできていなかったりすると、行動できるように私から指摘する。

世代間の摩擦もある。我々は「これをやれ」と言われてやりながら学んだが、今はまず答えを見せて、「ここに行くために、これが必要」と納得しないと学生は動かない。そのうえで、学生に「やる」と自分で言わせる。リーグワンのチームだとそこは必要ない。昨シーズンはその違いで悩んだ。



――リーグワンのチームだと45~47人ぐらいが適正規模とのことだが、大学は130人。難しさはあるか。


 レベルもモチベーションも差があるので、難しい。大きく二つのスコッドに分けて運営している。

 東海、帝京は同規模だが、明治、京産は100人いないのでコントロールできる。自分が大学現役のころは各学年25人で100人ぐらいだった。

 春に早慶明と対戦して、うちにない強さを学んだ。秋のシーズンに向けて強化していきたい。



▶︎宮本啓希さんのプロフィール

1986年生まれ。天理中、天理高から2005年に同志社大入学。09年からサントリー・サンゴリアスでプレー。18年に現役を引退し、スタッフを務めた後、22年に同志社大監督に就任した。



2023年7月14日、京都府京田辺市の同志社大学田辺キャンパスで収録

取材:奥村健一(H2)、西尾仁志(H2)



星名秦さんのプロフィール

1904年生まれ。旧制三高から京都帝大工学部。1928年に香山蕃の指導のもと初全国制覇したときの主将。極東オリンピックの五種競技で優勝した。満州鉄道に就職、戦後は同志社の教授から学長に。同大ラグビー部も指導した。日本協会でルールコミッティ委員長などを務めた。米テキサス州生まれで、テキさんと呼ばれた。


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