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115: 日本一を目指すことから逃げない。 (青貫浩之・慶應義塾体育会蹴球部監督)

更新日:1月29日

日本ラグビーのルーツ校で、旧制三高と日本最古の定期戦を持っていた慶應義塾体育会蹴球部の青貫浩之監督に話を聞いた。




――監督のラグビー履歴を。


 ラグビーを始めたのは中学1年のころ。慶應の前監督の栗原徹さんが、高校3年でプレーしているのを見て、同じ清真学園でラグビーをしたいな、と思った。栗原監督が慶應100周年の2000年(1999年度)に大学選手権で優勝したのを見て、慶應に行きたいと思った。



――高校ではバックス、大学でフランカーに転じたのは。


 華麗ではなく、見掛け通りの力強いバックス。体格やフィジカルの強さを生かせるのはフォワードだと思った。フランカーは常に動いて、ピンチの時もチャンスの時もボールのそばにいる。もっともチームに貢献できるポジションだと魅力を感じて転向した。


対明治大学戦(青貫さん現役時代)
対帝京大学戦(青貫さん現役時代)(写真提供:日刊スポーツ)

――学生時代は日本協会のエリートアカデミー(2002年)にも選出された。

 エリートアカデミーでは貴重な経験を積むことができた。選出されたメンバーと共に北の湖部屋に入門したこともある。


エリートアカデミー時代。一番右が五郎丸、右から三番目が山田章仁、五番目が青貫さん(写真提供: 大友信彦)


――今年は100回目の早慶戦。来年は慶應義塾蹴球部の125周年というけじめの年に監督になられた。味の素も退職されて、特別な思いがあるのでは。


 会社では恵まれた環境にいて、やりたいことをやらせてもらっていた。少し迷ったが、なかなかないチャンスだと思った。味の素に行けたのも慶應ラグビー部で4年間活動してきたから。恩返しをする時期が来たのかと思った。



――今年の早慶戦は国立競技場。前回勝ったのは2010年。125周年にも向けて、どんな目標を立てているか。


 今年の4年生にキャプテンを中心に話し合って、目標をつくってもらった。出てきた目標は二つ。一つは早慶戦に勝つ。もう一つが正月を超える、つまり大学選手権ベスト4に入るということ。素晴らしい目標設定だと思っている。過去日本一という目標を立てて、達成できない年が続いた。(最後に)日本一になったのは23年前。いまの4年生も生まれていない。いまの学生に「日本一を」といっても、実感がない。慶應が置かれた環境を思えば、二つの目標達成は簡単ではないが、チャレンジし甲斐がある。

対早稲田大学戦(青貫さん現役時代)


――就任時の記事を読むと「日本一を目指すことから逃げない」とコメントされている。


 今年のチームが始まるときのミーティングで、山登りの話をした。最終的なゴールは大学日本一だが、いまわれわれの立場からはてっぺんは見えていない。今年という時間の中でどこまで達成すべきか。ラグビーのルーツ校として、日本一を目指すことは諦めないと学生には話した。




――100名を超える部員の人材育成の面で、指針とされていることは。


 口酸っぱく言っているのは、身の回りの整理整頓と清掃、挨拶だ。1月14日の最初のミーティングのあと断捨離をし、いらないものを全部捨てた。これは、ラグビーをする以前の話だ。整理整頓は、例えば試合で誰かが抜かれてしまった時のように、よくない状況を一歩踏み込んで正すということだ。挨拶は周囲への気遣いと、ファンづくりだ。



――主将、副将、主務、副務のほかにリーダーという人が10人ほどいるのは。


 主将らの一つ下のレベルで、グランドでスキルや方向性をリードしていく役割。主将に選ばせている。



――コーチ陣の役割分担は。


 ヘッドコーチが一番権限を持っていて、基本的に彼に任せている。私は社会人としてまったくラグビーをしていないので、その私がラグビーを教えるのは、効果的、効率的ではないと考えている。



――技術や戦術の指導はヘッドコーチ以下に任せている。


 その通り。私が指導しているのは、気の持ちよう、マインドセット、整理整頓、挨拶のようなこと。



――30人以上いるスタッフの役割は。


 大きく3つあって、いわゆる女子マネジャーと分析、トレーナーだ。分析は試合のスタッツをとったり、課題を検討したり。われわれの現役ころは、分析は自分たちでしていた。専属のトレーナーもいなかった。ラグビーがよりシステマチックになっていて分析が必要になった。フィジカルを日々管理・確認をする役も必要になっている。






――昔の厳しさも残しながら現代にマッチさせていると理解する。これまでのFWコーチとして、バックローの育て方は。


 一番大事なのはタックル。タックルは気持ちだ。自分たちより強そうな相手に、相手より先に、相手より強く入る。これがタックルの一番のポイント。それは本当にマインド。スキルはあまり教えていない。



――慶應のラグビーへのハングリーさはどこから。


 京都大学も同じだと思うが、他の大学と比べて、ヒト、モノ、カネが厳しい。その状況で勝っていくには、練習と気持ちしかない。いい練習とは、気持ちが入った練習。普段の練習からそれができないと、強豪校に勝つチャンスはない。



――旧制三高がラグビーを始めたのは、慶應に教えてもらったから。100年以上の長いつながり。定期戦には特別な思いがある。96回対戦して、京大の11勝83敗2分け。京大戦の想い出などは。


 私自身がプレーヤーとして出たことはない。今年、歴史ある試合に監督として関わることができて、ありがたい。前からよく京大戦の後、学生が自分たちのやるべきことを京大さんにやられた、と反省している。素晴らしいチームだなと思っている。




――下鴨神社の第一蹴の地の碑は、ご覧になったことがあるか。


 はい、1回ある。



――京大も慶應も、レベルこそ違うが文武両道を目指していると思う。卒業生の進路についての考え方なども、ほかの大学とは違うのでは。


 京大には親近感を覚えている。ヒト、モノ、カネが限られた厳しい環境のなか、知恵と工夫でどうやって勝つか、ということをやられているチームだなと思う。慶應の卒業生の95%はラグビーをしない。同期30人として、続けるのは一人か二人。それは入部の動機がラグビーがうまくなりたいからではなくて、慶應でラグビーがしたいからだ。それに将来的にリーダーになりたいから、だと言ってくれる学生もいる。京大もおそらく同じでは。



――5年前に一般社団法人慶應ラグビー倶楽部ができている。これと部との関係は。


 これができたことによって、組織としてしっかりお金を集めて管理することができる。簡単に言うとサポート態勢を整えたということ。学生は実感がないだろうが、監督としては、透明かつ公正にお金を集めて使っていただいているというところで助かっている。ラグビースクールは部とは直接関係なく、地域密着のスポーツクラブ。



――定期戦の話に戻る。竹本隼太郎さん(慶應→サントリー)と話したことがあるが、彼にとっては初めてタイガージャージを着た試合が京大戦。京大戦の活躍が認められて1軍のポジションをとったという。本来は対等のメンバーで戦えればいいが、そうでなくとも意味はあるのでは。


 おっしゃる通りで、本人にとっては一生の思い出。この間の定期戦は父兄がものすごくたくさん見に来た。4年生で初めて黒黄ジャージを着るという選手もいた。残りの期間で黒黄ジャージを着る可能性が少ないことは本人もわかっていて、京大とファーストジャージを着て試合ができるのは何事にも代えがたい経験だ。






――日本で初めてラグビーを始めた先輩への思いは。


 慶応義塾大学は、新しいものを積極的に取り入れてチャレンジする精神を、福沢諭吉先生以来受け継いでいると思う。ラグビーも、日本で誰もやったことがないスポーツをやってみて継続した。京都大学(旧制三高)が始めるまで、ほかの大学とはやっていなかったが、火を絶やさず続けた。同じ価値観をもってラグビーを始めてくれた京都大学と、関東は慶應、関西は同志社でやり続けたとが、日本ラグビーの発展につながっているのかな、と思う。先人たちの思いや努力には頭が下がる。



――伝統とそれにプラスアルファしていくことについて。


 伝統と革新がないと歴史を重ねることはできない。伝統を継承することと、その時代にあわせた新しいことを取り入れる。知恵と工夫とはそういうことだと思う。30年、40年まえの「地獄の山中湖」というのは、その時の慶応の知恵と工夫だった。



――リクルートは組織的にされているか。


 実はそこが課題で、なかなかいい策が打てていない。リクルート態勢を整えても、うかるかどうかは別の話。AO入試はどんどん数が減っている。私のころは7、8人から10人ぐらいいたが、今年は3人。リクルートは厳しくなっている。慶應でラグビーをしたいと思わせることが大事。今年早慶戦に勝つことは、この5年、10年を見据えて大事なことになる。もう一つ、自分の経験でもあるが、監督から直接話をされると嬉しい。足しげくいろんな高校に通っている。京大の定期戦の際には、京都の高校も訪問した。



――練習のスケジュールは。


 6時15分からミーティングで、今日の練習の目標や前日の振り返りをする。朝6時半から練習開始で8時半に終了。1限の授業がある学生は7時半ぐらいに抜けている。あとはウエイトをする時間を3つぐらいのブロックに分けて設けて、細かいスキルも各自、授業の合間を縫ってやっている。去年から朝型にした。



▼青貫浩之さんのプロフィール

茨城県の清真学園高校で高校日本代表。2003年、慶應義塾に入学、体育会蹴球部に入る。06年度の主将。卒業後、味の素に入社。19年からFWコーチ。23年に監督に就任し、味の素を退社。39歳。


2023年7月24日

取材:夏山真也(S54/NO8)/真田正明(S55/PR)/西尾仁志(H2/CTB)


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1 commentaire


Invité
21 sept. 2023

強豪校にとって京大との定期戦はどういうモチベーションなのかといつも思っていましたが、出場する選手や応援に来る方々の思いを知り感慨深いです

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